もし推しに出会ったら
推しについて思うことを書いてみた。
Twitterやテレビでいろんな人の推しについての話を聞いて私が思っていることだから、パクリみたいな部分もある。言葉が響きすぎて、どこの人から聞いた言葉なのかももう覚えていないけど、それでもいい人は読んでほしい。
忘年会で酔っぱらいながら、乃木坂好きな女の先輩と推しについての話をした。以下、酔っ払いが書いてる文章である。
人間は、好きや嫌いという感情があるけど、その感情は選ぶことは、できないと思う。気づいたら好きだし、気づいたら嫌い。
推したいという気持ちも同様である。
先輩が乃木坂を好きで言われたことがあるそうで
「女性アイドルは25歳定年説があって、女の旬がもうその時期って言われてるみたい。だから、女性が、アイドルが、商品っていわれてるみたいにしか思えないから好きになれない。」
アイドル、特に女性アイドルの25歳定年説は、否定できないところがある。否定している人もいるが、現状をよく考えてほしい。
そういわれれば、確かにそうだなと思ったけど、その人がそう思うことは、仕方ないことだ。
その人は、きっと推しに出会ってないのだろう。仕方ない。推しは突然やってくるものだから。好きになることも嫌いになることも選べない。なった人にしかわからない。
赤の他人をわざわざ推したいという気持ちは、かけがえのない気持ちで、容易くなれるものではないし、もはや運命といっても過言ではない。
いつまでもいると思うな、親と推し
とはよく言ったものだと思う。名言。
私も、°C-uteというグループにいる鈴木愛理が推しだった。鈴木愛理ではなく、°C-uteにいる鈴木愛理だった。
この先、会おうと思えば会えると思っていたし、実際に鈴木愛理は芸能活動をしている。
でも、私が推したかったのは、推していたのは、°C-uteの中で歌っている鈴木愛理だった。
もっと、会いに行くことだって、グッズを買うことだって、推すことはたくさんできたはずと思う。でも、まだ次がある、とか思ってしまった。それを後悔することに気づいたときはもう遅い。
一年後、その子を推していないかもしれない。
会いに行こうと思えば、会いに行ける。
そんな考えで躊躇することはたくさんあると思う。しかし、そんな保証はどこにもない。
思った時に会いに行かなければならない。
推そうと思った時に推さなければならない。
後悔しない推し事をしてほしい。
わたしは、たくさん後悔した。